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東京とローカルをつなぐフリーマガジン「メトロミニッツ」古川編集長が思うスポーツツーリズム

東京とローカルをつなぐフリーマガジン「メトロミニッツ」古川編集長が思うスポーツツーリズム

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高知県を走ることについて

ハワイが好きでこんな世の中になる前はよく旅行に出かけていた。こういうと(なぜか)意外がられるのだが、世界でいちばん好きな街はどこかと聞かれれば、僕は迷わずホノルルと答えるようにしている。

ホノルルという街は、そこにいる大多数の人が休みに来ていて、そこで働く人のほとんどが「観光」に関わっている。だから休む方も迎える方もそれを前提にしているため、滞在におけるストレスがとにかく少ない。一年中夏みたいな太陽の光の質は日本のそれとは明らかに違っていて、やわらかくてやさしくて前向き。そこには日本のジメジメした夏のようなしつこさがまるでない。街では誰もが笑っていて、少し歩けば海が見える。買い物をしたかったらハイブランドからスパムおむすびまでなんでもすぐに揃うし、誰とも会いたくなかったらホテルのプールサイドのデッキに寝転んで、変な色のカクテル(なぜかオーダーしてしまう…)でも飲みながら日がな本をでも読んでいればいい。ホノルルに着いたらあくせくあちこち動き回らず、そこに住んでいるように滞在するのがいちばんだ。その「暮らすような旅」のスタイルが、僕は大好きだった。

ホノルルに滞在するときはたいていランニングシューズを持っていく。そしてホテルで目が覚めてシャワーを浴びる前に、その辺をランニングするのが旅のひとつの楽しみだ。カラカウア大通りを抜けて少し走れば、ホノルルといえどローカルな住宅街になる。その知らない街を、自分のペースでのんびり走る。知らない路地に知らないお店があり、早起きのおばちゃんが洗濯物を干している。どこの街にだって「生活」がある。朝の街を走ることで、それを知ることができるのだ。同じように早起きして走っている、そこに暮らす人とすれ違いざまに挨拶をかわす。そうして僕は街に同化していく。

シャワーを浴びて朝ごはんを食べると、決められた予定はもうなくなってしまう。やることがない日は、僕は海辺に出て10ドルで借りられる重たいサーフボードで海に入る。ホノルルのメロウな波は沖で割れ、大きすぎず、かつ見た目よりパワーがあるのでロングライドができる。海の上から見るホノルルの街は陸の上から見るのとはまた違って、この世の楽園のように見える。その瞬間、僕はわかる。そう、ハワイは楽園なのだ。

コロナ禍が長く続き、遠くに旅に出ることができなくなった。ホノルルに行けなくなった僕がランニングシューズを持って旅に出た先は高知だった。ふとしたことから高知県に縁ができ、僕はすっかり高知県の関係人口となった。今では年に何回も通うような場所になり、空港についても特別な高揚感はなくなった。夕ご飯も好きな店に迷わず入れるようになった。もちろんそれは悪い意味ではなく、たぶんそれは高知県が僕にとってもはや特別ではなくなったということの証拠なのだと思う。とにかく僕は高知県が好きになった。

いつも泊まる市内の外れの小さなホテルからナイキのランニングシューズの紐をしばって走り始めたとき、僕はこの場所がもう自分にとっての「日常」なのだということを感じた。ホテルから駅を背にして走ると、すぐに鏡川に出る。市内の中心部を流れる川なのに、水質は驚くほど透明で美しい。そういえば雑誌「ソトコト」編集長の指出さんは、高知県は市内でも水がきれいな場所にしかいない魚が釣れる稀有な町だと言っていたのを思い出す。

高知県東部の北川村のゆず農家さんと親しくなり、村に通うようになって久しい。村の奥に温泉宿があり、そこに滞在することが増えた。早起きして朝霧に霞む幻想的な山あいの道を走ると、鳥の声や、川のせせらぎが耳に届く。昼間は聞こえないその音たちが、1日の始まりに僕に特別ななにかを届けてくれる。ランニングで汗をかき、宿の温泉でその汗を流してから食べる朝ご飯は、もちろんどんな朝食よりもおいしい。

越知の仁淀川で体験したカヌーの上から見た世界が忘れられない。水上に浮かぶスケルトンカヌーの底に映る水の色と、見上げた空の青さ、木々の緑。ぜんぶが奇跡みたいで、そのとき本当に「あぁ、僕はいま地球に遊んでもらっている」と思ったことをよく覚えている。

高知県は総面積の84%が森林で、日本一森林率の高い県として知られている。そして四万十川、仁淀川をはじめとする、その山間から流れ出る美しい川の流れがあり、その川が流れ込む海の雄大さがある。かんたんに言うと、この場所には豊かな自然がある。かんたんに言わず大袈裟に言えば、ここには地球の地肌のようなものがある。

僕たちがそれを受け取れるかどうか? それは人によって違うと思う。この場所を物足りないと思う人もきっといるだろう。でも少なくとも僕にとって高知県は豊かな地球の美しさに溢れた場所だ。そしてその美しさを享受できたきっかけは、スポーツだった。そこを走り始めたこと、川に入ったこと、海に浸かったこと。自然と繋がるためにハブになってくれたのが、ランニングでありカヌーでありサーフィンといったスポーツだった。

これをスポーツツーリズムという言葉で括っていいものかわからない。でも僕にとってたとえばその街を走ることは、その街を知ることにほかならない。このやり方を知ってしまった以上、僕は旅に出るたびにランニングシューズをカバンに入れ続ける。そして知らない街の朝の空気を思い切り吸い込んで、リズムよく足を前に運ぶ。そしてその街に自分が受け入れてもらえている喜びを感じるのだ。

ハワイは僕にとって「地上」の楽園だった。そして高知県は僕にとって「日常」の楽園になった。自分の日常がこんなにも自由で楽しい場所だということを教えてくれたのは、高知県だ。僕はどこにでも行けるし、どこにだって縁を持つことができる。そして僕は、どの街だって自分の足で走ることができる。今日も僕は日本のどこかの朝の街を走りながら、その幸せを身体で感じている。

文 古川 誠

古川誠さんプロフィール

メトロミニッツ、オズマガジン編集長。毎月20日に東京メトロで配布される「メトロミニッツ」では、「豊かな暮らしのヒントはローカルの日常にある」をテーマに日本全国のいいものを紹介。また、小説家として「りんどう珈琲」(クルミド出版)「ハイツひなげし」(センジュ出版)と、2冊の小説を発売。年間20回以上足を運ぶほどの高知好きで、様々な形で高知県とつながりを持つ「関係人口」の実行者でもある。